梅若小学校
〒131−0031 墨田2丁目25番1号
рO3−3614−6913
開校 平成23年 6月 30日
校歌制定 平成23年日
校章制定 平成23年日
校地面積      7522u
初代校長 筒井 鉄也

校名の由来『梅若』の名は古くから
この地域に伝わる『梅若丸伝説』に由来

 
周りの円形の部分は
梅若小学校の頭文字の「U」を表しています。
大地に梅の花が咲き結実していく様を表し

 







 

通学区域
堤通2丁目全域
墨田1丁目全域
墨田2丁目全域
東向島4丁目2番〜3番、
          9番、
          15番〜16番、
          40番〜43番
 
                    桜堤中学校へ 



教育目標
◎人に優しく、自分に強く
自ら学ぼうとする意欲を持ち、進んで挑戦する子供
よく聞き、しっかり伝え、お互いを大切にする子供
自分の役割と責任を果し、協力し合う子供
 
 



目指す学校像
◎子ども達が誇れる学校
 ・自分の能力を発見し、伸ばし、その能力が発揮できる学校
 ・学校に通えることのうれしさ、喜びが感じられる学校
◎保護者に信頼される学校
 ・わかりやすい教育活動を常に実践し、説明責任を果すことが出来る学校
 ・保護者も子どもとともに学び歩むことが出来る学校
◎地域とともにある学校
・地域の人が訪問したくなる学校
・地域に貢献できる人材を育成する学校
◎教職員が生き生きとした学校
・心身共に健康で、協働の中から生まれ風通しのよい学校
・専門性を磨き、熱意や使命感が評価される学校
 
 



    学校長談
     平成25・26年度 東京都教育委員会人権尊重教育推進校として、人権教育の推進を図ることとしています。
     また、本校にはコミュニケーションの教室「つばさ」(2学級)や日本語通級指導教室(1学級)も設置され、子どもたちのニーズに合わせた多面的な教育活動を展開しています。
     学力向上に向けては、習熟の程度に応じた算数少人数指導(2学級3展開)や特別支援員を配置し、担任補助、補充的学習プリント等による個別指導、学習のつまずきに応じた取り出し指導を実施しています。
     さらに、電子黒板(各フロアに設置)や実物投影機(全クラスに設置)など、ICT機器を活用し児童の興味・関心を高めながら確実に学力の定着を図っています。

     生活指導面では、副担任制を導入し、朝の会、帰りの会や給食指導、学年行事をはじめ、できる限り担任だけでなく複数の指導者で子どもたちの支援に努めています。
     梅若小学校の児童一人一人にとって、学校に通える嬉しさ、楽しさが実感でき、梅若小学校でよかったと思える学校となるべく、今後も教職員一同一丸となり取り組んでまいります。どうぞよろしくお願いいたします。
     


     

    校歌
    作詞 校歌制作委員会
    補昨・作曲 菊池慶太

    1・梅咲きほこる 学び舎に
      昔の伝え 語りつぎ
      明るく元気 大空へ
      あふれる笑顔 広げよう
      ああ ぼくとわたしの
      梅若小学校
    2・若葉の萌える 隅田川
      平和の光 降りそそぐ
      信じる心 輝かせ
      強い絆を 育てよう
      ああ ぼくとわたしの
      梅若小学校
    3・うす紅かおる墨提の
      未来に続く みちしるべ
      夢と希望の 翼もち
      友情の和を つなげよう
      ああ ほくとわたしの
      梅若小学校


     

    梅ジャムの作り方 

    01・梅はきたないところをふきんでよくこすり洗う
  • 02・竹ぐしでヘタをとる。
  • 03・いたんで黒くくさっているところを包丁で切り落とす。
  • 04・湯をわかす
  • 05・湯の中に洗った梅を入れやわらかく煮る。(ふたはしない)
  • 06・竹ぐしをさしてみて梅がやわらかくなったら湯をすてる(ざるにとる)。
  • 07・なべにもどし、さとうを入れ弱火で煮る。
       (コンロの火力が弱いときは中火くらいでもよい)
  • 08・こがさないよう木べらで底からかきまぜる。(15分〜20分)
  • 09・種がはがれてきたらとりのぞく。
       はがれずらかったらうらごしする。
  • 10・できたジャムをビンに取り分ける。
       (ビンは口の広いものが入れやすい)
  • 11・使ったものをきれいにかたづける。 


  •  

    旧白鬚駅(京成電鉄)







     
    白鬚線(しらひげせん)は、かつて東京都墨田区向島駅から白鬚駅までを結んでいた京成電気軌道(後の京成電鉄)の鉄道路線(廃線)です。

    路線距離(営業キロ:1.4km)
    軌間:1372mm
    駅数:4駅(向島駅・白鬚駅含む)
    複線区間:全線複線(後年単線化されたとの説あり)
    電化区間:全線電化(直流600V)
    閉塞式

     
    もともとは王子電気軌道(現・都電荒川線)への連絡を目指して建設された路線の一部で、三ノ輪橋停留場まで延長し、相互直通することを目論んでいた。とりあえず第一期として昭和3年(1928)に向島駅〜白鬚駅が開業している。

     当時の京成電鉄は押上駅が終点であり、都心へのルート確保に苦悶していた。隅田川を挟んで浅草への延長は東武鉄道だけに認められ、京成にはなかなか認められなかっ(焦った京成は東京市会を巻き込んだ京成疑獄事件を引き起こすことになる)。そのため、当時同じ東京川崎財閥の影響下にあった王子電気軌道との直通で何とか都心へのルート確保を目指したのである。

     当時の京成は王子電気軌道と同じ1,372mm軌間であるため、直通は容易であった。しかしながら、向島駅の配線は押上から直通可能な分岐であったとされ、さらに王子電気軌道に直通したとしても都心への直接のルートにはならないため、やや存在意義に疑問の残る路線であった。

     その後、京成は昭和5年(1930)に上野〜筑波山までの免許を保有していた筑波高速度電気鉄道を吸収し、昭和8年(1933)に上野駅〜青砥駅の新線を開業させたため存在意義を失ってしまった。
     さらに東京市から平面交差していた道路の都市計画による立体交差を義務付けられたことも重なり、昭和11年(1936)には早くも全線が廃止となった。開業からわずか8年での廃止であった。白鬚線が分岐していた向島駅も昭和18年(1943)に休止され、昭和22年(1947)に廃止された。
     なお、京成は廃線敷をバス専用道路に改築する計画を当局に提出していたが、実現することなく宅地として売却された。
     既に廃止から70年以上が経過しており、向島駅跡以外はその後の戦災や宅地化でその痕跡を見つけることは難しくなっている。向島駅跡は工事など際の作業基地や向島にあった都営地下鉄浅草線の車両基地(向島検修場)への信号場などとして幾度か利用されている。

     また、終点の白鬚駅は白鬚橋病院の旧病棟があった場所だとされる。なお、白鬚線の廃止直後の様子が永井荷風の『濹東
    譚』の中に描かれている。

    ◎昭和11年(1934)9月15日改正当時
    列車本数:午前5時〜午後12時の間において、ほぼ16分間隔で運転
    所要時間:全線4・5分

     開業当初は押上から直通運転されていたものの、乗客が少ないことからほどなく向島駅に白鬚線専用ホームが作られ、線内折り返しでの運転が中心になっていた。その後単線化されたようであり、晩年は単行電車が終日線内を往復していたという。

    ◎大正7年(1918)5月1日軌道特許状下付(南葛飾郡寺島村大字寺島字水道向-同村同大字字馬場間)
    ◎大正9年(1920)6月21日特許失効(南葛飾郡寺島村大字寺島字馬場十番地-同村同大字字馬場八番地間 工事施工ノ認可ヲ得サルタメ)
    ◎昭和3年(1928)4月7日開業。
    ◎昭和11年(1936)1月27日全線廃止。

     当時は向島駅周辺には、南竜館という映画館や商店街(南竜館商栄会)があり、現在線路沿いにある大きな団地(八広5丁目都営住宅)の所にはミツワ石鹸の工場があり大いにわっていた。

    現在映画館はなく、商店街は八広新中商店街・八広銀座商店街という2つの商店街になり、1990年ぐらいまでは栄えていたが(商店街のセールでは八広新中商店街は商店街内で有効の商品券が当たる三角くじ、八広銀座商店街では、テレビや自転車が景品があたるガラガラくじがあり大いに賑わった)、今ではその商店街もシャッター通りになっている。

     廃止後は近年まで上り本線脇にホームの側壁が残っていたが、連続立体交差工事に伴い消滅した。

     駅廃止後も跡地は京成電鉄の所有地であるため、直接・子会社を含め、たびたび利用されている。

    1959年頃、改軌工事に伴う車両の台車交換基地として。
    1960年〜1968年向島信号場を設置(都営地下鉄浅草線・都営浅草線向島検修場への信号場)
    1991年〜2001年押上線荒川橋梁架け替えに伴う作業基地として。

     閉塞(へいそく、 block system)とは、鉄道または軌道における衝突を防ぐための信号保安システムのことである。

     
    鉄の車輪を有する鉄道車両は、ゴムタイヤの自動車よりも、はるかに制動距離が長いので、前方に別の車両を発見してからブレーキ操作をしていては衝突を防ぐことができない。

     そのため、線路を一定区間(閉塞区間)に区切り、1つの閉塞区間には同時に2つ以上の列車が入らない(入れない)ようにすることで、安全を確保している。したがって、閉塞とはシステム工学の排他制御と同じ概念であり、鉄道における信号保安の最も基本的な部分であるといえる。

     閉塞の考え方が導入される以前は、列車の出発前に駅同士で連絡をした後、ダイヤグラムに基づく運転時刻表に従って列車を運行させていたが、遅延が発生し所定通り運行できない時や確認に錯誤などがあった際には衝突・追突事故が頻発したため、それを防ぐための方法として閉塞が考案された。

    ◎タブレット
     日本の多数で使用されたタイヤー式単線用閉塞器では、「たま」もしくはタブレットともよばれる円盤状をした金属で、中央に空けられた穴の形状で区間を区別する。第一種:穴の形状は丸(まる)、第二種:四角(よんかく)、第三種:三角(さんかく)、第四種:楕円(だえん)の四種類が基本であるが、国鉄北海道総局管内や一部の私鉄ではカマボコ形や六角形など、変わった形のものも見られた。

     また、大同信号株式会社が開発した大同D型閉塞器ではわん形(椀形)と呼ばれる円筒形の「たま」が用いられた。

     材質は砲金製がほとんどであるが、一部ではジュラルミン製も見られた。なお、大同D型閉塞器に用いられる「たま」の材質はアルミニウムである。最近ではごく一部のローカル線などで使われている。JRの旅客営業路線では、平成24年(2012)年9月212日の只見線を最後に使用路線はなくなった。

    通票
     
    日本の国鉄では通票の穴の形状、及び欠きの形状はタブレットと同様で、一種が丸、二種が四角、三種が三角、四種が楕円であるが、三種三角のみ倒立しているように見える。これはタブレット閉塞式のタブレットは欠きのある側が手前にくるように、票券閉塞式の通票は欠きのある側が奥になるようにスライダー(タブレットを閉塞器本体や通券函に収納するための枠)の突起が設けられているためである。

     また、旧国鉄では非自動区間の多かった北海道の一部路線で五種と六種と呼ばれる特殊な形状の通票が用いられたこともある(例:湧網線の網走駅〜常呂駅間の併合閉塞時に用いられた第六種など)。ちなみに、穴の形状は五種が花形(端が丸い十字形)で六種が一般的な十字形、欠けは五種が凹形、六種が∧が2つ並んだ形だった。

     直径はタブレットとほとんど変わらないが厚みはずっと薄く、表面に通券函解錠用の突起がある(例外として、中央の穴をスライダーの中央の突起に合わせるタイプの通票など、欠きや突起のないものある)。材質はタブレットが砲金製やジュラルミン製であるのに対して通票ではスチール製やステンレス製が一般的である。

     古くは棒状のスタフタイプの通票が用いられた。現在旅客線上で扱われているのは、津軽鉄道の金木駅〜津軽中里駅間と名鉄築港線の大江駅〜東名古屋港駅間(いずれの区間でもスタフ閉塞式のスタフとして使用)のみである。このタイプの通票では、棒の一端に種別を表す丸や三角の形状をした鉄板等が付けられ、反対側や中央に通券函の鍵が付けられている。


    スタフ
     スタフは、最初は棒状の金具(これが「スタフ(staff:棒杖の意)」の語源)が用いられたが、現在ではタブレットで代用されることが多い。現在旅客線上で棒状のスタフが扱われているのは、上述の通り名鉄築港線・津軽鉄道の2路線のみである。なお、一部の鉄道事業者では乗務員の行路表のことを「スタフ」と称することもあるが、このスタフとは関連がない。




    ◎ミツワ石鹸

     1860年、旧会社のミツワ石鹸の前身である「丸見屋」創業。当初は化粧品の製造販売を行っていた。

    1910年にミツワ石鹸を発売し、石鹸を中心に家庭用洗剤・医薬品(大衆)・医薬部外品を中核に事業を広げる。

     1954年には当時放送が始まったばかりのテレビでCMを開始。知名度だけでなく品質の高さと消耗の少なく長持ちし庶民にもされた。

    贈り物には、醤油といえばキッコウマン醤油。石鹸といえばミツワ石鹸。」と呼べるほどの日本を代表する石鹸会社となった。

    だがその栄光も長くは続かなかった。1975年に業績不振により倒産してしまう。

     ミツワ石鹸の工場や商標・営業権は、当時日本進出したばかりのプロクター・アンド・ギャンブル(P&G))に買収・譲渡された。

     実は、P&Gの日本日本現地法人の前身はミツワ石鹸など3社によって設立された「日本サンホーム」という企業であり、この会社がP&Gの傘下に入ることを反対しミツワ石鹸は経営から離脱したばかりであった。

     ちなみに、P&で近年まで発売されていた「薬用ミューズ」石鹸」はミツワ石鹸が1953年に発売した日本初の薬用固形石鹸である。

    P&Gに買収されて「ミツワ石鹸」と言う名は姿を消し、長年に渡って幻の石鹸ブランドとなっていた。


    主な商品

    ミツワ石鹸
    ミューズ(薬用石鹸、ミツワ石鹸時代から続く古参ブランド)
    プラス(洗濯洗剤)

    プラスZ(台所洗剤)
    ミツワ肝油ドロップ

    ◎主なテレビスポンサー番組

     婦人ニュース(第1期)(日本テレビ系。1960年10月から1962年3月まで別社と一日
     おきに提供)
     名犬ラッシーTBS系。なお「新名犬ラッシー」は(ハウス食品提供)
     ミツワでラックスクイズショー・ダウン(TBS系。「ラッシー」の次番組)
     ミツワ歌のプレゼント(TBS系)
     お茶の間寄席
     19時45分枠時代は当社メインの複数社提供)
     しろうと寄席(フジテレビ系)
     日曜洋画劇場(NET→テレビ朝日。初期のみ)
     ビッグスペシャル(NET)


    ◎石鹸

    動物や植物
    の油脂をアルカリ剤で煮ることにより生成される固形物で、界面活性剤の一種であり、油と水を混じり合わせるため汚れを浮かすことができ、結果として洗浄作用をもたらす。色は白く、水に溶けやすい性質を持つ。精製時に使用するアルカリ剤によって脂肪酸ナトリウムもしくは脂肪酸カリウムと呼ばれる。

    脂肪酸ナトリウムもしくは脂肪酸カリウムのことを「純石けん分」と呼び、石鹸その物はこの純石けん分を意味している。日本において石鹸と呼ばれる商品には3種類あり、脂肪酸ナトリウムもしくは脂肪酸カリウムのみが配合された製品を「石けん」、その他の成分が添加された製品は配合率によって「複合石けん」「合成洗剤」と表記される。

    油脂が動物性のものは洗浄力が強いが、低温では溶けにくく洗浄力が落ちると言う特徴がある。植物性油脂はその反対に、低温でも溶けやすく、洗浄力は動物性に比べて劣っている。動物性は40〜60度が適し、植物性は20〜40度の温で溶ける。

    石けんはアルカリ性の水によく溶け、酸性の場合には溶けにくくなる。そのため、固形の洗濯石けんにはアルカリ剤が添加されている製品が多い。液体の場合、石けんとアルカリ剤が混ざるとドロドロとし液状にならないためエタノールが添加されている製品が多い。

    合成洗剤

     
    石けんは純石けん分のみでも洗浄作用を持つが、純石けんは高価であったため、戦時中などは純石けんに代わる洗剤が求められた。この時に発明されたのが合成洗剤で、現在では市販洗剤の多くを占めている。同じ洗剤ではあるが、石けんとは全く別の物である。

    合成洗剤は純以外の界面活性剤を化学的に精製したもので、同じく洗浄作用がある。石けんと比べて、水に溶けやいため溶け残りが少ない、特定の油に対して強い洗浄作用を持つ、石けん特有のにおいが生じない、などの利点があり、最大の特徴は安価なことである。

     しかし、環境汚染や人体への悪影など安全性について明確ではなく、家庭用洗濯機と合成洗剤が普及し始めた頃は、川を泡まみれにしたり湖を汚したり、誤飲により健康被が出るなど、社会問題もいくつか発生した。

    現在では強い毒性が確認された物質は使用禁止になり、また水質汚染への影もを少なくした商品が開発され、以前のような危険性はないとされている。しかし、人によっては合成洗剤に対して強い拒否作用(アレルギー、アトピー、、過敏症など)を示すことがあり、また自然界では分解できないためいつまでも残り続けるという意見もある。

    また、勘違いされやすい点としては、合成洗剤は石けんと比べて洗浄力が強いという訳ではない。石けんは使用量と水質 (ph値)、水温によって洗浄力が極端に変化するため、使い方が不適切な場合には汚れが落ちにくいと言う特徴がある。

     合成洗剤はこの点を気にせずに使用できるため、分量を守れば洗濯機で簡単に汚れを落とすことができ、洗浄力が強いと勘違いされやすい。実際のところ洗浄力に大した差は無く、適切な環境で使用すれば石けんも合成洗剤も汚れを落とすことができる。なお、合成洗剤には石けんが含まれている製品も存在する。

    石鹸とアトピー

     
    純石けん分は人体に無害とされ、また水質汚染への影も少ないとされている。一説には5000年以上使われているともされ、極めて全な洗剤であるといえる。実際のところ、石けんを使い始めてからアトピーが治ったという事例(筆者も経験者)も多数ある。

     これは石けんがアトピーを治したのではなく、それまで使用していた合成活性海面剤や香料などの化学物質による皮膚への悪影響が、石鹸に切り替えられたことで軽減されたためである。

    アトピー対策に石鹸を使用する場合には、化学物質が添加されている製品に注意し、成分表示を良く見て購入する必要がある。なお、炭酸塩やケイ酸塩などのアルカリ剤は、水質をアルカリ性にし石鹸の洗浄力を増すために添加されており、溶け残りによる金属石鹸の発生や黄ばみ、石鹸特有のにおいを防いでいる。

     
    アルカリ剤についても古くから生活面で使用され、また安全性も確認されている物質である。一部には安全性について危険視する声もあるが、水をアルカリ性にするため石鹸使用時の使用量を減らすことができる。

     石鹸の使用過多は自然環境で分解し切れないことも危惧されており、洗濯には使用すべきという意見が強い。なお、アルカリ剤は皮膚を傷めるため、体質によっては皮膚が赤くなることもあるので、肌の弱い人は浴用石鹸に純石けんを使用すると良い。


玉の井

銘酒屋

NAGASE KENKO

東武博物館