石盤
(スレート(昔の学童の)筆記用具




 小学校で石盤を使用した覚えのある方は、熟年の方々でも、そう多くはないと思います。中には郷愁をそそる懐かしい単語で、今の学童学生には新鮮な言葉として聞こえることでしょう。

 今のように、紙の生産が盛んでなかった頃には、ノートは大変入手が困難だった。そこで『書いては消し、書いては消す』携帯用の黒板のように使った。

 『黒板』と『石盤』の違いは、文字で分るとおり石板や石版ではなく、盤である。原料が植物か鉱物の違いで材料の『粘板岩』は、正しくはスレート(SLATE )と呼び、英語の方が解り易いかも知れない。ただし、これは天然スレートの意味で、一般に用いられているスレートとは、セメントに石綿を合成した人造スレートを指していう。黒板と石盤とは、どちらの歴史が古いか調べてみると、石盤の文献は残っているが、残念ながら黒板は見当たらない。

 18世紀末、200年ほど前にスイスのペスタロッチによって、教材用に使われたのが、はじめと書かれている。日本での使用は、明治初年『学制』が発令後輸入されたのが始まりで、当初は実験に『かわら』や『すりガラス』を2枚張り合わせた物も、一時期使ったらしい。

 その後、明治7年(1874)宮城県雄勝崎で、ねずみ色の粘板岩が発見され、その後、他の地域でも製品が出まわり、明治中期には値段も安く供給できるようになって急速に広まり、大正時代、昭和の初期まで、広く使われてきたのは皆さんご存知の通り。

 余談になるが、石盤の出来る少し前の寺子屋時代の話であるが、福島県の野口英世博士の母が、幼い頃子守奉公にやらされていた時、(NHK朝の連ドラ・おしん)のように寺子屋に通う友達がうらやましく、法師(先生)に頼んで、『いろは』の手本を貰い筆や紙が買えないため盆の上に灰をならして指で手習いをした・・・・・・という有名な話が残されている。これが、書いては消す石盤の草分けかも知れない。

 石筆の原料は、滑石またはロー石としてよく知られているが、有名な産地は埼玉県秩父郡野上町の通称長瀞と呼ばれてる河岸で、石畳(いわだたみ)といわれている結晶石のことでこの中の一部がロー石と呼ばれる石筆そのものである。

 いま玩具としてロー石を求めることは困難だが、現在洋裁の布地の線引きに『茶粉』が使われているように、鉄鋼製造関係の現場で、鉄板の『ケガキ』用に石筆が僅かながら実用に使われている。石盤は、紙を節約することからスタートしたものだが、書いたものが保存できない等の理由で、自然淘汰されてしまったのは皮肉である。

 日本の教育の夜明け、特に日本はパルプ資源が少なく紙の大切な時代に、石盤は古きよき時代の1頁を埋めてくれた。人間であれば功労者であるが、この際チョッピリその功をねぎらって想い出すことも意義があるかも。

 さて、その天然スレートが屋根材として利用された時代もあった。その一例として、外国では教会等の急斜面の屋根などに使われ、今も僅かに残っている。しかし、『もろく』破損しやすい欠点は、どうにもならず実用としての役目は果たせなかったが、その後、セメントと石綿で合成され、人口スレートとしてスタートし、工場などの屋根材として活躍していた。

 また、耐熱性を買われ石炭全盛時代煙突の材料としても大いに役立ち、時代はめまぐるしく変わり現在はフューム管と名が変わり、鉄鋼管の代用として下水管などに使われている。

 最近では、耐火性が高く評価され、耐火ボードとして建築の簡易化と、防災に役立って盛んに使われつつある。日本での粘板岩の発見が、単純な用途で石盤になり巡り巡って石のような材料を作る遠因を作ったと考えてみると、時代を振り返って見るのも面白い。

 今一度屋根の話に戻るが、スレート屋根材が『なぜ当時もてたか!』新製品の魅力と、加えて割安だったからに違いない。江戸末期に『屋根かわら』は開発されたが、非常に高価なため官用及び寺社用(寺社奉行管理)の建物以外は使い切れなかった。最近になってアスベスト(商品名)がガンの基になるといわれ学校、工場やその他の建物の屋根や壁に使用されていたものが撤去されている。

 日本での石盤は、50余年の命で終わってしまったが、黒板は健在である。石盤と黒板がどちらが古くからあったかはどうでもいいが、性質と用途が少し違うだけで片方は生き残った。

 しかし、コンピューターの新機種ラッシュはすさまじく、昨日の新型が今日は又さらに、新しく改良される勢いで、オフコン、マイコン、パソコンとめまぐるしく、量産の速度も目覚しく、値段も割安になっている。

 もしも、コンピューターのキーをたたいて教師が講義をするようにでもなれば、黒板は不要になる日も近いかもしれない。なぜなら、黒板も石盤も消せば1回で終わりだが、パソコンは記憶できるからである。いまのところ、当分の間は黒板は、石盤のように消えることもなく、教室での必需品に変わりはないだろう。