本所中学校
(墨田区東駒形3−1−10)
開校  昭和22年 5月10日
校章制定 昭和22年9月 1日
校歌制定 昭和28年5月10日
校地面積 5,221.14u


 

 






 

通学区域

本所1丁目全域
本所2丁目全域
本所3丁目全域
東駒形1丁目全域                                     
                                               外手小学校より
吾妻橋1丁目全域
吾妻橋2丁目全域                                     
                                               小梅小学校より

業平4丁目1番〜8番
業平5丁目全域                                      
                                               柳島小学校より

業平1丁目全域
業平2丁目全域
業平3丁目全域
業平4丁目1番〜8番を除く地域                            
                                               業平小学校より

東駒形2丁目全域 
東駒形3丁目全域 
東駒形4丁目全域 
吾妻橋3丁目全域                                     
                                               横川小学校より
 


教育目標

 1.基礎学力の充実。
 2.情操の陶治。
 3.社会的連帯感の育成
 4.健康の増進を掲げ生徒ひとりひとりの個性、
   能力を生かし、その伸長を図るために生徒活
   動の指導に重点を置く、特に生徒の班活動を通して、
   各自が自己の役割を理解し、協調性を身につけた
   人間性豊かな生徒の育成に励んでいる。
   
   PTAの学校教育に対する協力も特色。
 



校歌

1.川霞み 明けゆく街々
  四方にとよもす 物音は
  この国の ゆくてを護る
  見よここに
  墨田の街は 開けわたる
  輝け文化 わが街に
  栄えあれ 本所中学
2.学びやに いそしむ若人
  揚ぐる我等が 諸声は
  空高く さやかにひびく
  見よ 日々に
  知識は広くなり行かむ(ん) 
  輝け文化 わが街に
  栄えあれ 本所中学
3.帰り来て 憩える窓々
  静かにうつる 灯のもとに
  師と親の 教えをたずね
  見よ まさに
  われら継がむ(ん) この道を
  輝け文化 わが街に
  栄えあれ 本所中学



基本方針

*本校の校木「柏:かしわ」は勇気と積極性を表しています。
「かしわの精神」を生かし、生 徒の一人一人の成長を、
 生徒自身・教職員・保護者・地域が一緒になって喜びと感じ
 る学校をめざします。
 



特色ある教育活動

「開かれた学校」
 毎月一回、授業公開日があります。10月の公開週間では、小学生への学校紹介や
 部活動の体験もできます。地域の声を反映する「学校運営協議会」を設置し連携を
 深めています。

「基礎学力の充実」
 数学での習熟度別学習・グループ学習、基礎学力定着教室等を実施しました。
 ・12年度 英語検定合格者数 (生徒数394名中)
 準2級14名、3級71名、4級73名、5級82名 
 ・12年度 漢字検定合格者数
  2級1名、準2級3名、3級13名、4級11名、5級 21名、6級2名

「生活指導・教育相談の充実」
 礼儀・身だしなみ・授業規律など、きめ細かい指導を行うほか、学期始めに1週間、個人面談
 または三者面談を行い、学習や生活上の悩みごとなどを話し合います。

「生き方を深める進路指導」「かしわ学習」
 
 個性・適性を生かす指導を重視するとともに地域の人からの職業講話・人生講話・実技実習
 地域に出かけてのボランティア活動、職場訪問や職業体験、高校訪問などを行い、単なる受
 験指導にとどまらず「生き方を深める」進路指導を実施します。


か」
改革」
(1) 絶えず自らを改革しようとする学校…自分が変わる喜び

  ◎創造的で多様な個性の伸張
  ◎生き方を深める進路指導


「し」
「真理」
(2) 真理を追究し生きる力を身につける学校…学び続ける喜び

  ◎基礎学力の充実
  ◎心身を鍛える


「わ」
「和楽」
(3) 自他を尊重し和があり楽しい学校…共同生活の喜び

  ◎生活指導・教育相談の充実
  ◎思いやりと優しさを育む
 



主な学校行事(平成13年度)

 4月  入学式、対面式、教育相談週間
 5月  宿泊遠足(1)、生徒総会、運動会、中間考査
 6月  移動教室(
)、修学旅行(3)、期末考査
 7月  区総合体育大会、基礎学力定着指導
 8月  夏季水泳教室
 9月  水泳大会、教育相談週間
10月  区連合陸上大会、入学予定保護者説明会、中間考査、学校公開週間、生徒総会
11
月  かしわ祭(文化祭)、進路相談週間、連合音楽会、連合学芸会、期末考査
12
月  三者面談週間
 1月  書き初め展、区展覧会、かるた会
 2月  オーケストラ教室、学年末考査
 3月  球技大会、お別れ遠足、卒業式
 



部活動の様子

 本校は、文・武両道を目指し、全生徒に部活動への入部を勧め、学校生活を楽しく充実させています。特に、連合陸上大会では「総合優勝」を納めるなど輝かしい成果を上げています。 



昭和22年
 4月 1日 (設立認可)
 5月10日 都立本所工業高校にて開校、および入学式。                

昭和23年日

12月24日 旧明徳小学校を改築し独立校舎落成。                    

昭和24年

 7月21日 プール補修。                                    

昭和26年

 3月28日 4教室補修。校庭舗装。                             

昭和29年

 4月19日 特殊学級1学級設置
11月23日 講堂改築落成。                                       

昭和32年

11月 1日 創立10周年記念式。                                    

昭和35年

 7月25日 特別教室2.特殊学級教室・放送室改修。                     

昭和37年

11月 1日 創立15周年記念式。                                      

昭和42年

10月16日 体育館落成。                                   

昭和43年

12月24日 給食室完成。                                         

昭和48年

 5月30日 新校舎改築第1期工事(5教室・体育館・特別教室)完了         

昭和49年

 8月12日 新校舎改築第2期工事完了。
11月27日 創立25周年及び新校舎落成記念式。                    

昭和50年

 3月28日 校庭荒木田舗装完了。                             

昭和52年

11月 8日 開校30周年記念式。                              
 



ベニイトトンボ

 近くにある大横川親水公園(吾妻橋〜緑)で、環境省のレッドリストで“絶滅の危険が増大している種”『絶滅危惧U類』に分類されているベニイトトンボが繁殖している。雄は鮮やかな朱色、雌はだいだい色がかった赤色で体長は30mm前後。同公園で2・3年前から繁殖すようになった。

 水生植物が豊富な平野部の池や沼に生息するベニイトトンボだが、水質の悪化や埋立ての影響で減少している。近年は外来魚のオオクチバスやアメリカザリガニによる捕食も減少の要因と考えられており、特に関東地方での減少が著しい。

 “繁殖という点では、都内では皇居とここだけしかないのではないか”と墨田区の環境保全課ではいい、草抜きなど生態系の維持に力を入れており、5月には成虫が見られるという。
 



王貞治

 昭和28年(1953)、本所中学校に入学した王さんは、卓球部や陸上部で活躍し、特に陸上部では砲丸(ほうがん)投げの選手として都大会にも出場するほどでした。さらに2年生の時、それまで休部だった野球部を再開させ、3年生の時には区大会で優勝、都大会にも出場しました。
 また、近所にあった大人の野球チーム「厩四(うまよん)ケープハーツ」にも入り、エースで5番をつとめました。
現在、本所中学校には、自筆「気力」の記念碑がたてられています。
 「野球がうまい」と近所で評判だった王さんは、昭和31年(1956)、高校野球の名門早稲田実業へ進学しました。新入生だけでも80人近くいましたが、入学から2週間でレギュラー、5番でレフトを守り、控(ひか)えのピッチャーでもありました。5月3日の関東高校野球春季大会都予選決勝では、選抜(せんばつ)の代表校日大三高に4対0でピッチャーとして完封勝ちをおさめました。そして、夏の東京都予選で優勝し、甲子園への切符を手にしましたが、2回戦で県立岐阜(ぎふ)商業に敗退しました。
 翌年昭和32年(1957)春の甲子園には、エースで4番打者として出場し、決勝で高知(こうち)商業と対戦して5対3で勝ち、早実(そうじつ)に初優勝をもたらしました。その夏にも甲子園に出場し、1回戦の寝屋川(ねやがわ)高戦で王さんは、ノーヒットノーランを達成(たっせい)します。この時は、2回戦で敗退しました。
 また、昭和33年(1958)春の甲子園では、3回戦で優勝した済々黌(せいせいこう)高に敗退しますが、王さんは30年ぶりに2試合連続本塁打を放つなどの活躍をしています。
 早実時代の王さんは、春・夏あわせて4回も甲子園に出場し、その活躍は当然プロ野球のスカウトの目にとまります。
 昭和33年(1958)8月31日、親族(しんぞく)会議で巨人軍入団を決定し、自宅で巨人・宇野(うの)代表を交えて発表をおこないました。10月4日の東京会館での正式入団発表には、親族一同が出席するという珍しい発表になりました。
 巨人軍入団以後の3年間は、成績もふるいませんでしたが、昭和37年(1962)に元毎日オリオンズの荒川博(あらかわひろし)氏が打撃コーチとして巨人に入団し、一本足打法を開始してからは、世界の王へと羽ばたいていきました。
 その後の活躍は皆さんがご承知の通りです。王さんはホームラン世界記録を樹立、初の国民栄誉賞を受賞し、現役引退後の現在も、監督として活躍しています。
 今後も王さんの活躍は、私たちに夢と希望を与えてくれるでしょう。