隅田小学校閉校







閉校を前に

 2月、いよいよ、閉校式を迎える月となった。『閉校式典』・『閉校お別れ会』は2月26日土曜日に行われる。いま、私の気持ちに、何もいえない寂しさが渦巻いている。歴史と伝統に裏打ちされた『隅田』に幕が降ろされようとしているからである。

 わが隅田小は明治16年(1883)6月1日に東京府南葛飾郡隅田村立隅田小学校として開校した。以来、121年の星霜を経て、全く予期していない閉校という時を迎えことになった。

 隅田小学校の前身は、明治6年(1873)、多聞寺内に設けられた『墨陀学校』(明治13年に廃校)である。これを起点にすれば、実に131年の歴史を歩んだことになる。これほどの歴史を持つ、わが『隅田』が、その名を消すと思うと断腸の思いである。

 わが『隅田』は、現在、6学級・109名と墨田区内でも最も小規模な学校である。時代の流れとはいえ、歴史と伝統に輝く『隅田』の灯が、平成17年(2005)3月31日をもって、ついに消える。そして、平成17年4月、『新生・隅田小学校』が開校する。

 わが『隅田』は、明治・大正・昭和・平成と4つの時代、そして19世紀・20世紀・21世紀と3つの世紀を歩んできた。この1世紀を優に超えた歴史の中には、大水害・火事・関東大震災・第二次世界大戦(学童疎開)など、筆舌に尽くせない様々な苦難の歴史があった。と同時に多くの感動のドラマがあったことは、歴史を少しでも紐解ければ知ることが出来る。

 この間、学校の名前は『隅田小学校』、『隅田尋常小学校』、『隅田尋常高等小学校』、『隅田国民学校』、『隅田小学校』と変わった。また、『隅田尋常夜学校』や『隅田商工補習学校』が設けられた時代もあった。

 開校以来、学校の場所は3回、学校の所在地は4回、校歌と校旗は2回変わった。しかし、唯一、変わらなかったのが『隅田』という2文字である。ここに『隅田』の歴史と伝統の重みがある。

 121年間の卒業生は明治20年(1891)の3名から数え、小学校で13,983名、高等科で4,800名、合わせて18,783名である。まさに墨田区内屈指の歴史と伝統を誇る。

 この間、こうした『隅田』の歴史と伝統を築き上げるために、墨田区当局、地域の皆様、校友会、PTAの皆様、歴代の校長及び教職員の心血注いだ熱い思いと心意気を、今、改めて噛み締めている。また、今回の閉校式に当たって、実行委員長をお引き受けいただいた勝村定治鐘ヶ淵町会長、鷲尾健二PTA会長はじめ、実行委員の皆様にお礼い申し上げたい感謝の念で一杯である。

 歴史や伝統の価値は過去を学び、未来へ突き進もうとするとき、確かめられる。こうした積み重ねが未来に対する絶対的な自信となる。この思いは閉校を迎えたいまでも私の脳裏には不動のものとして浮かび上がる。そして『
新生・隅田小学校』の新たなる歴史と伝統づくりの礎になるに違いないと確信している。

   
『学び舎 隅田の名と共に♪♪』
         『ああ これ清き 学び舎の 育む我等の 姿なり♪♪』
              『学び舎 隅田』よ !!! 永遠なれ。

学校だより(2月号)   佐藤 準一 学校長


統合に向けて

 学校生活の中では、何かと行事ごとが盛りだくさんの2学期ですがPTAでも12月24日隅二小PTAの最大イベントである『隅二小まつり』でチョコバナナの模擬店を出店させていただき大好評でした。

 
また、12月5日は恒例の『もちつき大会』を隅二小PTAと共催で行いました。前日までの雨予報をも跳ね返し、すっきりした晴天の中、参加者約300人で大盛況だった。お手伝いの保護者の方も非常に多く、来年以降も行える自信にもつながり、交流も大いに深まったと思います。子どもたちも良い思い出になったことと思います。

 さて、今年度も残り少なくなり、後は2月26日の閉校式典およびお別れ会に向けてまっしぐらです。当日は多くの保護者の方々のお手伝いがないと運営できませんので、一人でも多くの方のご協力をお願い致します。

鷲尾 健二 PTA会長